2005年11月11日

本当に必要な能力 REALLY REQUIRED CAPABILITY [教育哲学]

今日、父親と議論しました。数学の問題集に難しい問題があるという話から、学校でのエピソードの話になり、教育学の話から、哲学へと広がり、次のような論点で一時間ほど議論しました。
論点1本当に必要な能力について
論点2「利口・愚か」の定義
論点3「相対的幸せ」「絶対的幸せ」について
どれも難しい議論ですが、至る所で議論されているような普遍的なものだと思います。長くなるので今日は論点1について少し書きたいと思います。詳しくは本人に直接聞いて、議論してください。

簡単に概要。
学校で授業が行われている。TVではニュースが流れている。社会では経済が動き、政治がなされている。周りには人間がいて、様々なことを考え、悩んでいる。
わたしは分からないことがあると不安である。なんでも、外で起こっていることを分かりたい。知りたい。そのために勉強し、本を読み、考え、議論している。
分からない人もいる。社会で何が起きているのか、あの人は何で悩んでいるのか、ものごとがなんでこうなるのか。分かろうと努力する人がほとんどであるが、あきらめている人もいるし、どうでも良いと思っている人もいる。
そこで、私たちは彼らにどう接すればよいのか。考える。
しかし、ふと思った。授業で分からないことがあっても、幸せに暮らしている人もいるし、社会に出ている人もいる。本当に必要な能力はそれだけではなさそうだ。
ここで「論点1本当に必要な能力について」考える。本当に必要な力、能力は何なのだろうか。
皆さんも考えてほしい。答えはいろいろあるであろう。しかし、真に正しいといえる答えは中々でない。一応私たちの結論を書こう。
「思いやる力」と「知的体力」である。
定義は、
「思いやる力」相手の立場、視点からものを考える力のこと
「知的体力」建設的思考をやめない力のこと
である。
「思いやる力」については省略しますが、「知的体力」について少し書きます。
知的体力のない人とは、例えば、自分はものごとを分かるようになりたいのに、その原因が分からず、もし分かったとしても、その解決に向けて一歩を踏み出すことが出来ず、その自分の責任を環境のせいにしてしまうような人。これは、簡単に言うと思考をあきらめてしまうということです。つらいこと、面倒くさいことがあると考えることをやめてしまうことです。最近の研究で、これは意気込みややる気などより、脳が疲れてしまうことが原因であるということが分かっています。こういう力は、若いうちにしか身に付かないと言われます。
私としては、大事な人にはこの思いやりの心と知的体力をつけられるようにこころを砕いていきます。

これで終わります。また、論点2、論点3については、省略します。またいつか書くかもしれませんが。

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