2007年5月27日

Okinawan Spirits

http://www.hi-ho.ne.jp/momose/mu_title/himeyurino_tou.htm
合唱曲「ひめゆりの塔」

http://www.okinawatimes.co.jp/sengo60/senji.htm
このページの下のほう。実際の戦時中の沖縄新報。

考えろとは言うけれど、百聞は一見にしかず。見たほうがわかる。というか、見ないと分からない。
三年生は、ゆっくりじっくり見てきてくださいね。

non title

昨日は部活的にいいことが色々起こりまして。
夏が楽しみ。ていうかもう夏シーズンですね。

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気付いてみれば、あさってから三年生は修学旅行です。ホントについさっき気付いたのですが、時間がたつのは結構早いですねぇ。もう二年になってからの一段落になるわけです。
それで、三年生は沖縄で何を学んでくるんでしょう? 沖縄出身の自分や、そういうのに冷ややかな目を持つ人から見れば、結構気になるところです。戦争のこと、平和のこと、とは言いますが、自分的にもっと大事なのは沖縄人(ウチナーンチュ)の気質。あの性格。テーゲー(てきとう)で、時間にもルーズ。沖縄タイムとか。ストレスを何にも感じず、宴ではカチャーシー、三線、島唄、泡盛。平和ですねぇ。これは決して、戦争を経験したからこうなった、わけではないですよね。haamey的には、戦争のことももちろんそうですけど、そういう日本人(本土の人:ヤマトンチュ)にはなかなか見受けられないウチナーンチュの人間を見てきてもらいたいですね。。

それで、時間はもう結構無いことに気付いたんですが、明日、平和委員会として少し活動してみます。沖縄に関すること。


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結構休みの日は、勉強には身が入らないですね。まぁどこの宗教でも、日曜日はholidayですからね。先人たちの智恵を無視するほどバカじゃないってことで。

2007年5月26日

non title

学校を炎上させる勇気と行動力に拍手!! (笑)

まぁそんなことでこのブログも無駄じゃなかったってことです。ここまで書けば意味分かるよね?察してください。

そんなこんなで。予想通りEPAも試験が終わってからディベートに費やす時間が激増したわけで。そろそろ試合もしたいし、スタッフのようなのもだし。更新まだらになるのは仕方ないのかも。でもせめて週末には更新したいと思う今日この頃。


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最近思うこと。特に部活が臨戦態勢になってから。
人は、「これもやりたい」「これもやらなきゃ」ってなって、それをやろうとがんばる。だけど、その対処が下手だと、「これも終わってない」「これは少し終わった」みたいな中途半端になってしまう。それは、結果として一つを捨てて一つを完璧にクリアしたのよりも劣っていることも多い。
当たり前のことだけど、優先順位をつけること、できる仕事はできるうちにつぶしておくということ、これらが大事になってくると思う。もちろん、大事なのは後者。前者は苦肉の策に過ぎないような場合も時々ある。上手く時間を使って、常に無駄な時間をつぶすことを考えていれば、基本この高校時代に飽和状態にはなかなかならない。と思う。

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自分の中の優先順位。
日々の基礎をなすもの、英語・部活(同じくらい)、勉強、他者への働きかけ。
日々をなすものは、もちろん、食事、睡眠、祈り。これは基本何があっても最優先。
そして、次は、自分の青春の基盤をなすもの。進路を開くもの。
次に、高校生の本分。
そして、+αの学園生活の醍醐味。

2007年5月19日

力がないから未来が見えない。

最近考え事が多いわけで。

国語科のH先生の論文を読んだ。
H先生はいつも熱くしゃべってくれる。学園教師の中でも哲学者的な先生。
先生の論文は、英語と日本語両方で書かれていた。英語で書いて、その後に日本語に訳したもんだから、英語の方が正確な意味を宿している。とはいえ、自分は日本語で読んだ。自分にはまだ、英語での理解よりも日本語での理解の方が、正確で深くあれるから。

ふと思った。
それは哲学的なことでもなんでもなくて。
自分、そして自分の周りを見渡してみて、H先生くらい色々なことを思索し、深くまで思索が達している人は何人かいる。学年に1人ってほど少ないわけではない。その卒業生、とくに思想家達のなかからたまたま、先生は教諭として返ってきた。そのひとりの先生が、現役の学園生にいい刺激を与えている。我々が書くブログを基にして起こる各種論争も、先生の思想に影響されることが大きい。ただ、自分の中学生時代、卒業実行委員で感じた矛盾や限界、先生の授業で先生もそう思っていることが分かると安心する。当時は、自分は異端の方なのか、と考えることもあったが、自分の思索に自身を持てるようになった。

そして、他にも思ったこと。先生の論文を読むには、教養が必要だった。もちろんそれは知識ではなく、こういう類のこういう深みのこういう次元のことを考えたことがあるか、そういうこと。もちろんこの考えたは、全部自分で考えたことでもよしに、読書を通し筆者の考えという車に運ばれながら考えたことでもよし、ただ、考えたことがあるか。時々こういう声を耳にする。
「H先生の授業は、眠い」「結局何が言いたいのか分からない」
非常に残念に思えてならない。メッセージを受け取る力のない不幸。よく「勉学や読書に励んで力をつける」ことが大切とか言うが、この「力をつける」というのは他人の、もちろんこれは先代であろうが同じことだが、メッセージを受け取る力のことだ。それは具体的には、教養かもしれないし、感性かもしれないし、あるいは知識かもしれない。それがなんであろうと、物事の本質を見抜けない、その重要性を理解できないというのは不幸なことであるがゆえに、その力は大事である。

昨日も書いたかもしれない。同じメッセージを受け取っても、それが各個人の「何」になるかは人それぞれ。それで何を思うかも、何を血肉として受け取るのかさえも。
それで人の本質を見抜く力、未来を見る力、人を見る力に差が出てきてしまっているのは、中庭を見る限り、事実。人によって、今直面している未来から何を読み取るかが全然違うのも、事実。そうすれば当然、その時を察知できるかも、その後の世界をどう描くかも、全然違う。

すこし余談になるが、この「メッセージを受け取る力」を大きくするものは何か。自分の結論は「読書」である。自分の危惧する、またこいつ大丈夫かと思う、また自分が嫌悪感を抱く人間は決まってルソーを読んだことがない。デューイを、また松尾芭蕉を。

話を戻すが、昨日の話題に関連して、未来を考えるとか、その時を意識するとか、それは一見「その人の態度」であるかのように見える。その人が考えたくないから、考えない。人間の本質を、社会の本質を探究しようとしないから、見抜けない。自分もそうなのかと思っていた。
しかし、それは違う、と今の自分は断言するだろう。
今まで色々な人を見てきた。同年代も大人も、日本人も外国の人も。仏教徒もイスラム教徒も。
人は未来を見抜こうとしないから、未来を見抜けない。それもあるが、その前に、人は未来を見抜く力がないから、見抜こうとしない、見抜けない。そう思う。する力がないから、しようとしないのである。

だから、創立者は言う。「徹して良書を読め」「今は力をつけろ」
学園生は、みんなこのメッセージを受け取っていきたい。

2007年5月18日

呼応

こういうのを呼応って言うんです。



正直に、今思うこと。自分の思うこと。

自分が、最近、特に中庭愛唱歌と言う場に参加している身だからこそ危機感を覚えること。

中庭愛唱歌で一節を取り、前で話す人たちを見て、危機を覚える。

「我々は先人と同じことをしていれば社会は発展するのか?」

「君達は本当に未来の世界を考えているのか?」

この二つ。

友人のブログに呼応させてこれらのテーマで展開します。



一つ。

先生は、自分の正義を証明する人を求めている。もちろんそれは事実。しかし、それだけの人材を求めているのか? もちろんそんなわけはない。

先人と同じことをする人間、それだけでは今と同じ速度で、今と同じ方向に、今と同じ力でしか進めない。もちろん、このやり方でここ数十年は進んできた。しかしそれはここ数十年。時代の波は大きく変わり、世界も地球も大きく変わってきている。世は移り変わる。そうでなくても、大きなものがそこにあるとき、それを越える大きなものが続かなければ、そこに発展はない。

何が言いたいのか。我々は先生に「続いて」いくだけではいけない。「越えて」いかなければならない、ということを忘れているのではなかろうか。

組織は常に成長し続けなければならない。そのために、勉強したり読書することは当然のこと。それができるから「応えていく」ではなくて、本当の「応えていく」ことはそういう前提の上の、限りない努力の上にあるということ。勉強がんばった。読書がんばった。語学がんばった。部活がんばった。それで、「応えた」「自分は貢献した」と満足しているようで、未来はあるのか。haameyは断言する。ない。

自分があえてこう厳しく言うのは、中庭愛唱歌にそういう気風があることが心配であるから。新しい「自分」を創っていこうという意欲が感じられないから。自分が世界のために貢献したいのであれば、そのつける実力に達成点などもちろんない。あったとしても、それは君達の考えるはるかに高みにある。

世界を見ずして、何を言うか―――― 自分の実力を、知ってほしい。このままではいけないということ。大きく方向転換が必要だということ。



二つ目。

先ほどの話に関連して。

未来は「自分」らが作っていくということ。

「その時」を意識して勉強したり本を読んだり、この時間のあるうちに友と語りつくしておこう、という人も若干ですが出始めています。

もう会の方も意識する人は「その時」を磐石な態勢で迎えられるように、心構えや実力、組織構造を「磐石」の方向へ準備し始めています。

悲しいからその時のことを考えたくない気持ちも痛いほど分かる。しかし、考えなくてはいけない。考えなくてもいいが、考えずしてもその時には磐石な自分、環境を整え上げておかなければならない。それができるのであれば何も哀しいことを考えなくてもいいと自分は思っている。しかし、それができる大人(たいじん)はこの学校に何人いるか。自分の実感では5人くらい。

考えて始めている人もいるでしょう。A・トインビーもずっと言っていたように、関心は、自分のいなくなる、何十年も先にあるんですよ。師の構想・関心に、弟子が追いつけなくてどうする?



まぁ、そういうことです。

自分は、各種委員会の長が、学内のことばかりで、学外へ向けての活動を何も考えていないことに、この間、驚きました。まぁ、自分のことで精一杯かもしれませんが、どうせなら友のことも、学校のことも、組織のことも、社会も、世界のことも考えられるような大きな人に、一人ひとりがなっていくといいんですけどね。



まぁそんなこんなで、友の5月17日の記事内の考えには、基本同じくです。特に前半は。「師も一人間」については、卒業シーズンに当時の卒業実行委員会副委員長、今は陸上部で活躍してるKさんに話した気がします。同じ危惧を、当時も言ってたんです。その考え自体には賛成ですが、まだ、「わざわざ取り立てる必要もないんではないか? そこはまねしなければいいだけで」とも思いますけどね。まだまだ議論の余地はありそうです。



3月17日の記事は、基本反対です。ただこっちの方は、今議論した内容に比べ、人個人の感性や体験したこと等々で、おおきく感じ方や考え、結論とかがかわりますし、そこまで重要な論点ではないと思います。深刻に考える必要はないのではと。ただ、「ビニールハウス仮説」は大いにそう思います。じっさい、学園やSUA卒業生でも、日本の組織や世界の組織で働く人が多いのは事実。

ただ、「ビニールハウス」だから悪い? とも言い切れない感じはしますけどね。もちろん全員が全員それでは、もう未来はありませんが、自分から進んで他大や海外、組織とは遠い社会に身を捧ぐ人は多いわけで。これもまた議論。



そんな感じ。



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話は変わって、今日は8組の子と帰りました。

彼女は、まだ進路も少し悩んでいるみたいで。

ただ、さっきまで話してた考えから行くと、今日話していた限り、心配なさそう。

つまり、「コピー」とか「一緒で満足」とか「ビニールハウス」なことはない。

むしろ、改革派?







ではでは。

2007年5月15日

本質知らず

さてさて。
今日はムカつく後輩に会いました。
まぁむかつくと言っても、心底憎いわけでは全然なくて、すこし生意気でかわいいくらいなんですが。
今学校は試験シーズン。放課後は勉学ムードが食堂やら図書館やら各地で起こってるわけですよ。それで、4組の友達になぜか、「haamey君、生徒会室で勉強しない?」
WHAT?
まぁ話を聞くと、彼は選挙管理委員会で、立候補受付のために生徒会室で番をしてなきゃいけないということでした。そう、そういえば今は生徒会本部役員の立候補期間でもあるわけです。
そこにいくと、立候補を予定している女子の後輩が。
彼女は新高なので、もちろん自分は知らない人だったですが、彼女が、「あ、先輩、こんにちは」って言ってきたんです。え? 話を聞くと、朝の中庭校歌の話が聞こえてきてみたことがあった、ということ。それであっちは知ってた。そこまではいい話だったわけですよ。

ところが、次に
「先輩は立候補しないんですか?」
「絶対に立候補しないよ。柄じゃないし」
「先輩は学校はもういいや、って感じなんですか?」











はぁぁぁぁぁぁぁあああああああ!??????Huh?!




今の生徒会長に、
「世の中には色々な役割の人がいて、それが社会を成り立たせてるんだよ、って教えてあげてください」
って頼んでおきました。
もぉ、学校に貢献しようって奴が、みんな生徒会を通して貢献しようって思ってるとでも思ったのでしょうか。まぁ新高で一年とはいえ、久々にHuh?!な後輩に出会いました。
これからが楽しみですね。

2007年5月10日

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まぁここにブログ書いてる時点でhaameyはある程度元気なわけでw

でもそれなりに部活の帰りには動揺隠せなかったですねぇ。
ある程度、この結果は分かっていたはずなんですが。
やはり現実として降ってくるとそれはそれで重いわけですよ。

自分の中では大丈夫なんですが、外からのダメージが大きいのは事実。
これ以降、今日の発表後の態度見るに、俺への見方・接し方かわっちゃいそうで怖いですよね。
それはやっぱり相当つらい。
同じ学年で俺だけってのもねぇ。同期がどういう態度とるか、相当不安だったりもする。

それがあと3ヶ月続くのかもと思うと、相当つらいし、た○○し氏の今の気持ちも分かる。
熱心でバリバリで自分のことしか、自分の勝利しか考えていない人ほど、人を傷つけてたりするもんです。

んで、やっぱり、そういうのは、いやだ。
奪還します。
できれば、く○つと一緒に。本当にあわよくば、た○い○氏も一緒に。

まぁ、そんな感じ。結構落ち込んではいないですけど、どちらかというと憤りがww


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それはそれとして、次の話。
とあるサッカー部の自分の親友が、トイレで、
「俺、SUA目指すのやめようかなぁ」
と深刻そうに話しかけてきたわけです。
まぁ、それで、自分はそのときなにを思ったのか、
「いいんじゃん?」
って言ったわけですよ。もちろん、それは彼がよく考えて考えた末に違う進路に進むなら、っていう前提がそこにはあったのですが、自分はすぐ「彼が”いま”悩んでいること」に気がついて、
「一応、同じサッカー部だった先輩に相談してみたら?」
ってことで33期の先輩のアドレスを紹介しました。
自分が、他人の進路や将来選択に介入する際のスタンスは、基本次のような感じにしています。それが、自分の価値観ではあるが自分が100パーセント彼にはあっていない、やめたほうがいいと思うことに関してははっきりいいます。まだ考えていたり、説得できる余地がある場合、自分以外の人の力もある程度借りて、彼ら彼女らが100パーセント納得まで考えられるように応援します。それらの結果、選んだ将来に関しては、何も言いません。できる範囲でその進路の獲得や、そのゴールのレベルアップを精力的にバックアップします。
そんな感じ。
まえもこのブログや中庭校歌で言ったのですが、友人や親友の大きな役割と言うものは、「人を立てる」ことだと自分は結論しています。その人が数学オリンピックを目指すんなら、その環境を整えられるよう自分の力の及ぶ範囲で活動するし、その人が生物学オリンピックを目指すのならそれを自分の口から大勢の前で話させ、周りの応援や当人の決意を促す。そういうことが、大事だと思います。結局は、校歌の中の平和を目指す理由、「輝く友の道拓く」ってことですよね。そうして、haameyはまた一つ校歌の意味を理解するのであった。

この話にからんで、学園で波を起こそうとするすべての人にお願い。自分の実感にないのに、分かってるつもりで人を説得するの、やめてください。本当に分かってる、体得している、自分の身の丈で対話や説得に臨んでください。

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まぁ、そんなこんなで、haameyは元気なんで!
部活のメンバー、心配かけてごめんよ。
ではでは。

2007年5月3日

やっちまったなぁ

2007年5月1日

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さてさて、今日は学校はおかしい日でした。

はしかで朝から動揺するし、明日は横浜に行く(予定だった)ということでうきうきしてるし、体育では怪我人が出るし、保健室に行って早退する人がクラスに3人くらい続出するし、みんな勉強にはあまり集中してないし、7限目には担当のネイティブの先生が体調崩して遅刻するし。

結局、はしか??てことで早退した部活の人ははしかでなく、明日の横浜見学は延期、あさっての部活も危ないらしいという感じまでなってしまいました。こればかりは気合いでどうにかなる問題ではないですからね。賢明に体調管理しても、感染は防げない。もう祈るしかないですね、これは。と思いました。

今日は、それとは別に、後輩の凄さを目の当たりにしたりしました。一人は、例の朝中庭にいつも登場する、この間前でしゃべった女子。今日も、一年の女子はほとんどいないのに、そんなこと気にするそぶりも見せず参加してました。愛称歌指導でも、積極的に対話していました。
でもう一人。部活の進入部員、早速スタッフの仕事を凄い勢いでこなしていました。ここまでは普通で、ここからなんですけど、その仕事、不思議なことに同期(つまり一年)に頼まれた仕事なんですが、「何か買ってくれないと仕事しない」ということで、ジュースをおごらせていました。(一年中四の女子と一緒に)この男性社会であるこの部活で、生き残る女性の知恵だと思いました。まぁ確かに、彼女の言うよう「女性の世紀ですから負けませんw」ていうのが実践されましたね。
そういう手強い、芯の強い人がいると、こっちも何かと助かります。

まぁそんなこんなで、学校は厳戒態勢です。
まぁそれでは。