2007年5月18日

呼応

こういうのを呼応って言うんです。



正直に、今思うこと。自分の思うこと。

自分が、最近、特に中庭愛唱歌と言う場に参加している身だからこそ危機感を覚えること。

中庭愛唱歌で一節を取り、前で話す人たちを見て、危機を覚える。

「我々は先人と同じことをしていれば社会は発展するのか?」

「君達は本当に未来の世界を考えているのか?」

この二つ。

友人のブログに呼応させてこれらのテーマで展開します。



一つ。

先生は、自分の正義を証明する人を求めている。もちろんそれは事実。しかし、それだけの人材を求めているのか? もちろんそんなわけはない。

先人と同じことをする人間、それだけでは今と同じ速度で、今と同じ方向に、今と同じ力でしか進めない。もちろん、このやり方でここ数十年は進んできた。しかしそれはここ数十年。時代の波は大きく変わり、世界も地球も大きく変わってきている。世は移り変わる。そうでなくても、大きなものがそこにあるとき、それを越える大きなものが続かなければ、そこに発展はない。

何が言いたいのか。我々は先生に「続いて」いくだけではいけない。「越えて」いかなければならない、ということを忘れているのではなかろうか。

組織は常に成長し続けなければならない。そのために、勉強したり読書することは当然のこと。それができるから「応えていく」ではなくて、本当の「応えていく」ことはそういう前提の上の、限りない努力の上にあるということ。勉強がんばった。読書がんばった。語学がんばった。部活がんばった。それで、「応えた」「自分は貢献した」と満足しているようで、未来はあるのか。haameyは断言する。ない。

自分があえてこう厳しく言うのは、中庭愛唱歌にそういう気風があることが心配であるから。新しい「自分」を創っていこうという意欲が感じられないから。自分が世界のために貢献したいのであれば、そのつける実力に達成点などもちろんない。あったとしても、それは君達の考えるはるかに高みにある。

世界を見ずして、何を言うか―――― 自分の実力を、知ってほしい。このままではいけないということ。大きく方向転換が必要だということ。



二つ目。

先ほどの話に関連して。

未来は「自分」らが作っていくということ。

「その時」を意識して勉強したり本を読んだり、この時間のあるうちに友と語りつくしておこう、という人も若干ですが出始めています。

もう会の方も意識する人は「その時」を磐石な態勢で迎えられるように、心構えや実力、組織構造を「磐石」の方向へ準備し始めています。

悲しいからその時のことを考えたくない気持ちも痛いほど分かる。しかし、考えなくてはいけない。考えなくてもいいが、考えずしてもその時には磐石な自分、環境を整え上げておかなければならない。それができるのであれば何も哀しいことを考えなくてもいいと自分は思っている。しかし、それができる大人(たいじん)はこの学校に何人いるか。自分の実感では5人くらい。

考えて始めている人もいるでしょう。A・トインビーもずっと言っていたように、関心は、自分のいなくなる、何十年も先にあるんですよ。師の構想・関心に、弟子が追いつけなくてどうする?



まぁ、そういうことです。

自分は、各種委員会の長が、学内のことばかりで、学外へ向けての活動を何も考えていないことに、この間、驚きました。まぁ、自分のことで精一杯かもしれませんが、どうせなら友のことも、学校のことも、組織のことも、社会も、世界のことも考えられるような大きな人に、一人ひとりがなっていくといいんですけどね。



まぁそんなこんなで、友の5月17日の記事内の考えには、基本同じくです。特に前半は。「師も一人間」については、卒業シーズンに当時の卒業実行委員会副委員長、今は陸上部で活躍してるKさんに話した気がします。同じ危惧を、当時も言ってたんです。その考え自体には賛成ですが、まだ、「わざわざ取り立てる必要もないんではないか? そこはまねしなければいいだけで」とも思いますけどね。まだまだ議論の余地はありそうです。



3月17日の記事は、基本反対です。ただこっちの方は、今議論した内容に比べ、人個人の感性や体験したこと等々で、おおきく感じ方や考え、結論とかがかわりますし、そこまで重要な論点ではないと思います。深刻に考える必要はないのではと。ただ、「ビニールハウス仮説」は大いにそう思います。じっさい、学園やSUA卒業生でも、日本の組織や世界の組織で働く人が多いのは事実。

ただ、「ビニールハウス」だから悪い? とも言い切れない感じはしますけどね。もちろん全員が全員それでは、もう未来はありませんが、自分から進んで他大や海外、組織とは遠い社会に身を捧ぐ人は多いわけで。これもまた議論。



そんな感じ。



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話は変わって、今日は8組の子と帰りました。

彼女は、まだ進路も少し悩んでいるみたいで。

ただ、さっきまで話してた考えから行くと、今日話していた限り、心配なさそう。

つまり、「コピー」とか「一緒で満足」とか「ビニールハウス」なことはない。

むしろ、改革派?







ではでは。

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